二章
繁栄のための黄金律
繁栄のための黄金律とは、最高の種子を出来るだけ沢山種蒔きに使うことです。稲作においても、種籾は最高のものを選ぶのです。古い虫食いの種籾では、発芽もしないのです。種蒔きに使った量に比例して、収穫も多くなるのです。こんなことは誰にも判る明白な道理です。ところが実際の人生においては、種籾まで食べ尽くして、種蒔きを忘れている人が多いのです。貧しい者は益々貧しくなり、富めるものは益々富むようになるというのは、貧しい者は種蒔きの量が少なく、富める者は種蒔きの量が多くあるからです。貧しい者が豊かになるためには、葉を食いしばってでも苦労に耐えて、種蒔きの量を多くしてゆくしか方法はないのです。富める者も益々豊かになる為には、種蒔きの量を多くしてゆく必要があるのです。もし種蒔きを怠ったら、どんどん貧しくなっていくのです。
全力を尽くして、世の為・人の為に働いて、喜んで与え返されたものが、種蒔きに使える最高の種籾になるのです。不労所得の泡銭(あぶくぜに)のようなものは、実の無い籾殻(もみがら)のようなもので、種蒔きには使えないのです。他から借りてきたようなものは、大抵は古い種子に違いないので、種蒔きには適さないものです。自分の収入のすべてを、過去の借金に取られてしまう、哀れな者もいるのです。自分の贅沢の為に、種籾まで食い潰す、愚かなものもいるのです。種蒔きをしなければ、どんどん貧しくなり、借金を増やすだけなのに。
同じ種蒔きであっても、やり方によっては、その収穫に大きな差異が生ずるのです。どれだけ多くの幸せを与えたかに比例して、その収穫の量が決まるのです。多くの収穫を得る為には、世の為・人の為に、多くの幸せを与える使い方をする必要があるのです。最高の収量を得る為には、神さまの御心を現す為に使うことです。一粒何億倍以上の効果が期待できるのです。次に「この御恩は一生忘れません」と言われるような使い方をすることです。すこしは効果が期待できるのです。
自分の一番大切なものを、報いを求めないで与える布施行においても、最高の価値あるものは無畏施(*1)であり、次が法施であり、その次が財施なのです。自分のいのち(時間)を真祈りに捧げるのが、無畏施です。神様の御心を現す為に、天照大御神を現す為に、感謝の真を捧げる(天照大御神 今ここに 在します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!ありがとうございます。)
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